コミュニケーションと余白

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今日は休みだけど、いろいろやりたいこと、やらなあかんなーと思うことはたくさんある。でも、ただいまドクターストップならぬモフニャーストップがかかっており、身動きできず。とりあえずスマホいっこでできる用事をサクサク済ませたついでにブログでも書こうと思うのである。モフニャーストップ中だと片手しか使えなかったりする。こういうときは音声入力が便利だね。

 

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モフニャーストップの一例(冬)

 

にゃー将軍さんが次のような記事を出しておられた。ブコメをしようと思ったが収めきれないため、無断言及失礼します。

チャプちゃんの脳が凡人であることが発覚してしまう - 恥ずかしながら おかわりを

こちらの記事は、下記の記事の続きとなる。

チャプちゃんの脳がすごいことが証明されてしまう - 恥ずかしながら おかわりを

 

にゃー将軍さんに限らず、小さなお子さんを持つ親というものは、お子さんのことになると一喜一憂してしまうものらしい。子供を持ったことがない私が語るべきものではないと思うんだけど、「大丈夫だよぅ」と伝えたい。

 

ある女医さんのお子さんは、医者の跡継ぎと言う重圧のもと、小さい頃から詰め込み教育を受けていたけど、最近不登校になってしまった。母親の女医さんも精神的に追い詰められている。

 

本来子供を持つという事は、嬉しいことだと思うんだけど、子供を立派な大人にしなければいけないというプレッシャーはしんどいだろうなぁ、と猫しか育てないお気楽な私は思う。

 

日本も含めアジア圏の教育には、高学歴を目指した苛烈な競争がある。18歳から20代くらいで早くも勝ち組とか負け組とか言い出す。でも人生ってもっともっと長いよね。そしてその長い人生では、有名一流企業でパワハラにあってメンタルを病んだり、誰もが羨む人と結婚したと思っていたのにダンナがDVだったりと、一見勝ち組のルートにも落とし穴がどっかんどっかん開いている。

 

学歴の高い学校に入れようと子供が小さな頃からやたらと詰め込む親が多いけど、たとえそれで高学歴やいい会社と言われるところに行っても、挫折する人はたくさんいる。

 

おそらく小さい頃からわき目も振らず疑問を持つことも許されず競走馬のように走らされ続けた人達は、「期待に応える」ことこそを自分の存在価値としてしまうから、理不尽なパワハラにも過剰労働にも体と心を壊すまで、応え続けてしまうんじゃないかな。

 

寿命は伸びて人生は長くなったし、終身雇用も崩れた不安定な時代では、子供のためにと過剰な受験勉強をさせるのも時代遅れだなと思う。

 

代わりに私が大事だと思っている事は、

•コミュニケーション

•余白

この2点だ。

 

とにかくどんなことでも対話をする。バカにしない。否定しない。決めつけない。

「余白」というのは、余裕だったり、待つことだったり。やたらと情報を詰め込んだりせず、子供の持つ「疑問」「不思議」を大切にして、先回りしない。子供が沈黙したら、再び話し始めるのをゆっくり待つ。子供がぼーっとする時間も大切。

 

普段からコミュニケーションが十分に取れていれば、子供のいじめや自殺を未然に防げるかもしれない。会社でパワハラにあっても、誰かに助けを求める力をつけることができる。

 

「余白」を大切にすることで、周りに流されず「自分の力で考える」ことが出来るようになる。ちゃんと自分の力で考えることができるようになれば、たとえ不登校をしようと、仕事を失おうと、なんとかなる。

 

にゃー将軍のところのチャプちゃんは、のびのびすくすく育っていっておられるようなので、微笑ましく見ていられる。そんなことを私が言うのもおこがましいんだけど。

 

ちなみに「育つ」というのは、子供だけでなく、誰もが育とうと思えば育つんだと思う。その気になれば一生育つんだから、育つスピードにこだわる必要は無い。以前、語学交換をしていた90歳のフランス人の老紳士は、日本語だけでなく「次は何を勉強しようかな」とワクワクしておられた。そんな歳になって勉強して何になるの?と思う人は、ちょっと気の毒だなと思う。私は子供の頃勉強嫌いだったけど、今だったら死の1日前まで何か勉強しているかもなと思う。 

 

ではまた。

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