この1年で計画し、実行したことなどあれこれ…

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(約3000文字)

約1年程、地下に潜伏しつつ?あれこれと計画し、実行してきたことがあるので、それについて、数回に分けて語ってみる。

 

私は今、週4の常勤医、週1の非常勤医、週1~2くらいで当直医として働いているが、数年計画で常勤を辞めようと思っている。もしかしたら非常勤も辞めて、フリーの当直医だけしようかな…と考えている。
私の勤める病院は、私に対してかなり待遇がよく、私は甘やかされていると思う。特に怖い人もおらず、給料も私のぬるい働きの割には悪くない。オヤツとお昼寝場所とお散歩がセットで付いてくる(幼稚園児か︎)それなのに、こんな職場を去ろうなんて思う私はかなりのアホにちがいない。

うすうす気づいてはいたが、私は医者に向いていない。特に病院という大きな組織で働く医者となると、全く向いてないと思う。組織で働く窮屈さに耐えられない。私は、働けば働くほど、精神科医療のあり方に対して疑問が膨らんでくるのを感じていた。例えば、次のような時だ。私の勤務する病院では、3回ほど閉鎖病棟内で新型ゴロニャのクラスターが発生した。精神科の患者さんの中には、状況が理解できないでマスクもせず動き回る人たちも多いということで、作業療法はなくなり、部屋は閉ざされ、廊下の自由な行き来がほとんどできなくなり…といった患者さんにとって不自由な生活が続いた。あまりにも動き回る人には一時的に身体拘束もあった。

そこで私は提案した。この病院には大きなグラウンドがあり、今は患者さんも職員も年を取って転倒しやすくなっているからやらなくなったけど、昔はそこで運動会もしていたらしい。私はこう言った。歩ける人達は日中グラウンドで遊んで過ごしてもらえばいいじゃないですか、と。私の住んでいるところは冬でもめったに雪が降らず、今年は降ったけど、例年はそんなに寒くない。動き回る人を閉じ込めたり拘束したりするよりも、動きたい人は外で好きなだけ動かせば、外なら感染のリスクはほとんどないし、運動不足やストレスもなくなる。飛沫を恐れてカラオケもなくなり、クリスマス会の演奏会もなくなったが、外で思い切り歌えばいいではないか。外で演奏会をすればいいではないか。私は病気に対抗する一番の薬は「楽しむこと」だと思っている。
外に出るというメリットは他にもたくさんある。日光を浴びることでうつ状態が改善するし、ビタミンDも活性化し、免疫力がアップし、骨粗しょう症にも良い。それに対して、病院側の返事は、歯切れの悪いものだった。「それはちょっと難しいんじゃない…?」と。とにかく保守的なのである。


そりゃあ私は病院の責任者ではないので、何をそんなに彼らが恐れているかわからないが、結局閉鎖病棟の感染が収束したあと、5,6人の患者さんの足に血栓ができたため、血栓を溶かす薬を飲んでもらわないといけなくなった。しかし抗凝固薬には出血のリスクが伴うため、かなり慎重な使用が必要だ。私が提案したように、患者さんに外で動いてもらうと、転ぶというリスクはあるかもしれない。でも、ベッドでずっと何日も動きを制限されて安静にしてもらうと、今度は血栓ができるというリスクがあるのだ。どちらもリスクがあるのなら、私の方法でもよくないか、と思うのだけど、こうした保守的な考えは、私の病院に限らず、多くの日本の病院がそんな感じなのである。このグラウンド問題に限らず、しょっちゅう意見が合わないことがある。意見が合わないから嫌なのではなく、反対の理由が「今までそんなことはしたことがない」といったような、納得しがたいものだったりするからだ。このような組織となると「リスクをとらないことのリスク」について考えることができないのだ。

そしてこのような疑問が湧いてきても、結局日本の病院で一勤務医として働いている限り、日々の業務に忙殺され、「しょうがない…」で終わってしまうのだ。私はそれはイヤだと思ったので、あと数年、できれば5年くらいで勤務医を辞めようと思っている。フリーの医者として当直などのバイトをこなしながら、やりたいと思っていることがある。それをここで書きながら、頭の整理をしていきたい。

私がいつか独立しそうだという空気を嗅ぎ取るのか、今までに看護師、心理士(師)、事務員からそれぞれ「先生、開業するなら付いていくわ。雇って〜」と言われたことがある。でも彼らがちゃんと暮らせるだけのお給料を保証するためにはある程度保守的にならざるを得ず、そうなるとつまんなくなるので、誰も雇おうとは思っていない。

私がしようと思っているのは、金銭を介在させないカフェである。古民家のようなところをカフェにリフォームして、猫と遊びつつピアノ弾きつつ、客が静かにお茶でも飲みつつ本が読みたいのなら放っておき、話を聞いて欲しいのであれば、話を聞く。もちろんこれまでいろいろ学んできたり臨床をやってきた経験を総動員させて話を聞くのだから、ただではない。お代として…

・家にあるいらなくなった本を送ってもらう。
・絵を描くのが得意な人には絵を描いてもらい、カフェに飾る。
・畑の大根を持ってきてもらう→おでんデーとなる。
・お菓子作りが得意な人にケーキなど作ってもらい冷凍保存し、客が来た時にふるまう。
DIYが得意な人、演奏が得意な人、パソコンが得意な人など、特技に応じていろいろとやってもらう。
・「私には何もない」という人にも、カフェの外の畑の手伝い、お掃除の手伝いなどを一緒にやってもらう。

お金を介在させたくないのは、単にお金のことを考えるのがめんどくさいのと、多くの精神障害を抱えている人はお金がないから、というのと、自己肯定感の低い人たちに色々と手伝ってもらうことで「自分が他人の役に立つことが出来る」ことを実感してほしいことくらいかな。お金を介在させないで、どうやって私が食っていくかといえば、週に2回ほどどこかの病院で当直でもやれば良い。ただ、お金を介在させないビジネスモデルを知らないので(そもそもビジネスと言うかもわからないけど)、どのように運営していくか、似たようなモデルを見つけて学ぶ必要がありそうだ。

公認心理師という国家資格ができたときに「これで日本の精神医療も少しは変わるか」と期待をしたのだけど、実際にはほとんど何も変わらなかった。相変わらず日本の心理師は独立開業をするわけでもなく医者が依頼する心理テストがメインの仕事となっている。本来1番カウンセリングが得意なはずの心理士がそれをやる時間の余裕がなく、代わりに民間の怪しげな資格を取ったエセカウンセラーたちが、悩める人たちの話を1時間2万円で聴くなど、ぼったくりの無法地帯が乱立している。本当に継続的なカウンセリングが必要な人たちが、お金がなくてカウンセリングを得ることができないのだ。

だから私は、お金がなくても継続的なカウンセリングが得られる場所を作りたいと思った。とは言え、今の私では薄っぺらいので、私というコンテンツを充実させるために、もう一度大学に入り、哲学や文化人類学、宗教学など勉強したいと思っている。どこで勉強するかと言えば、やはり授業料の安さから考えてもフランスだろう。と言うわけで久々にフランス語を真面目に勉強し始めたのである。

そして、今ジャズを勉強しているのは、ジャズピアノが流れるカフェにしたいから。

沢山の本と、ピアノと、猫がいるカフェって理想♫

(つづく)
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