これって私がおかしいの?(ただの愚痴)

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(約2600文字)

日本で精神科医をしていると、自分はおかしいのかと思うくらい、他の医者と意見が異なることがよくある。「日本の」というのは、西欧、北欧のやり方については、ことごとく同意できるからだ。

 

2つの病院で働いている。こないだはA病院で、ある患者さんが転倒した。その患者さんはその3日前にも転倒していた。まだ50代で、ここ最近になってから転倒が増えたとのこと。血圧もヘモグロビン量も低くない。食事もちゃんと取れている。患者さんを診察室に呼んで診察すると、フラフラでじっと椅子に座れない状態だった。新しく担当医になったA先生が、抗精神病薬を4種類、規定量を大幅に超える大量投与をしていた。看護師もそのことには気づいていたけど、看護師から医師にはいいづらい、という。表向き、医療従事者間にヒエラルキーはないはずだけど、「医者に意見などできない」という暗黙のヒエラルキーが存在する。実は、医師同士でも指摘はしづらい。指導医から研修医にならしやすいだろうけど。

この先生は60代だ。よりによってこういう人が指導医だったりする。医者はある程度年数が経つと、だれも指摘しづらい存在となるので、他の職種が気軽に意見を言えるような謙虚さを持っていないと、かんちがいしたまま年だけ取ってしまう。まぁ私はカルテに書いて指摘させて頂くけどね。忖度できない発達障害なんで。

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最近、B病院では、こんなことがあった。私の担当する統合失調症の患者さんに、B先生の担当する統合失調症の患者さんの薬が間違って渡されてしまった。それを飲んだ私の患者さんは、薬が強すぎて翌日起き上がれなくなった。間違えて飲んだ薬を見ていると、やはり抗精神病薬が4剤、大量に入っていた。以前このB先生が「患者さんがコケて頭を打った」とバタバタしながら「先生の患者さん、コケないねぇ。何でかな」と言うので、「薬が少ないからじゃないですか」と話したことがある。

B先生は50代。どちらの先生も、昔の精神科医療を経験してきた。(私は歳はくっているが精神科医歴は浅い)昔はびっくりするような量の薬が投与されていて、時々副作用による突然死を起こしていた。その頃の精神科の治療のゴールはなんだったのだろう。今でこそ悪名高いロボトミー手術が賞賛されていた時代もあった。思うに、その頃のゴールは、患者さんが「おとなしく従順になる」ことだったと思う。時代と共に変わる精神医療の考え方を取り入れることができる先生もいれば、あまり変わらない先生もいる。統合失調症の症状というのは、長年の未治療や不適切な治療によって症状がある程度固定されてしまうと、なかなかすっきりと治るというのは難しくなる。ある程度の薬の量で、時々おかしなことを思ったり言ったりしちゃうけど、作業療法を楽しんだりおやつを嬉しそうに食べたり、その人なりに日常を楽しく送れるというところで薬の量を止めても私はいいんではないかと思うんだけど、症状を完全になくすことを目標にしているのか、患者さんがちょっとおかしなことを言うたび薬を増やしていって、最終的にはベッドの上でとろーんとして涎垂らして、変な妄想も言わなくなった代わりに、何も話さなくなったのを見て、これが目指すべきゴールなのか?と私は疑問に思うわけよ。

 

そのB病院のB先生とこないだバトったんだけど、その先生が「そりゃ、先生間違ってるよ」とあまりにキッパリ言うんで、本当に自分の方が変なのかと思ったのが、DNRについて。DNRというのは、終末期なんかに、延命治療を希望しません、というのなんだけど、私の80代の患者さん、嚥下機能が低くなってきて、誤嚥性肺炎を繰り返している。そういう患者さんに対するアプローチが私とその先生とではぜんぜんちがうのね。私は、誤嚥性肺炎を繰り返すような80代の患者さんは、もう終末期だから、本人が食べたいと言ったら、嚥下できるタイプの食事をしてもらう。でないと栄養が足りないとすぐに褥瘡ができてしまうし、なにより喜びがないからね。いよいよというときは、家族と静かにお別れをすればよいと思うので、本人と家族の意向にもよるけど、私は心臓マッサージは基本あまりおすすめしていない。もちろん、若い人の心筋梗塞など、心マでまた元通り健康に生きていける人にはもちろんしたほうがよいけど、もう自然な寿命だと思うのに、肋骨をバキバキにして蘇生させて、そんな痛い思いをしてでもほんのちょっとでも生きたいと思える何があるんだろう。もし孫の結婚式がもうすぐでウェディングドレスがみたいから、ということならそれをする甲斐もあるだろう。でも、家族がふだんほとんど見舞いに来なかった後ろめたさから、治療に全力を尽くしてほしい、というのは、家族のエゴだと思うんだよね。家族には言わないけどさ、そんなこと思うんなら、なんでもっと会いにきてあげなかったの?ってね。

B先生の考えは、真逆で、誤嚥性肺炎を起こしやすい人に食事などとんでもない、と。で、確かにリスクは減るから、もっと長く生きるかもね。ベッドの上で、点滴だけで、何も食べずに。そして、最後は心臓マッサージは当然でしょ。高齢者の心マで戻る人はほとんどいない。でも10人中1人でも戻るかもしれない、と。でも、例え息を吹き返しても、本来だったら自然な寿命を迎えていた人が、肋骨をバキバキに骨折して、この先食事も食べられず、そんなにしてまで生かさなきゃいけない? B先生は、「そのほうが家族が納得できる」とのこと。私はね、めったに会いにこない家族よりも、患者さんに寄り添いたいの!

 


というわけで、平行線なんだけど。私が「価値観の相違ですね」というと、「いや、先生、これは価値観とかじゃなく、それが当たり前だよ」と返す。B先生がSOL(生命の維持が何よりも優先)という立場で、私はQOL(その人らしく生きることが優先)という立場なんだけど、日本では私は異端なんだなぁ。西欧や北欧の考え方は自分と近いものがあるから、そこにいたらストレスがないんだけど。

 


私は医者には向いていないかもしれないな。こないだは、使ってない広い運動場を耕して畑にして患者さんにも作業してもらえたら、日中陽を浴びて体を動かしてもらって、共通の話題もできるし、作物を近隣の人に売って患者さんの収入も少しできたら自信もつき、生活にハリができて、眠剤なども減らせるんじゃないかと話したけど、「うーん、それは難しい…」と却下された。融通利かない。もう日本やだ!どっか行きたい。

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今日の動画



ではまた。

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