システムエラー

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(約1300文字)

我が弱小のピアノチャンネルに、イイねを下さるのはとてもとても貴重な存在。最近だいたい10前後のイイねを頂いている。が、それが時間がたつとごっそりと消えて0になってしまうことがある!

なんて無慈悲な!あのヒカキンさんとかからなら、10人や100人のイイねを取り去ろうが痛くもかゆくもないが、10くらいしかついてないところから、10のイイねを取り去るなど、血も涙もない!くぅっ…

 

それだけならまだいい。さらに、コメントまで反映しないことがあるのだ!我が弱小チャンネルにコメントを下さる存在は大変貴重なのである。昨日せっかくよねこさん、ねこよさん?が下さったコメントが反映されず…。

1人しかコメントくれてないのに、そのたった1人のコメントを反映させないなんて、YouTube、アンタは鬼か!?コメント欄には反映されてなくても、ちゃんと読んでます!ありがとうございます!

 

さて、こんな風にシステムエラーが起こることもあれば、忙しくてうっかり3日くらい、頂いてたコメントを読んでなくて承認してないことに気づくときもある。繊細な方だったら「何か悪いことを書いたのではないか?無視されてしまったのでは…?」とハラハラさせてしまったかもしれないが、私の性格がずぼらなことにだんだん気づいてこられた方なら「たぶんまだ気づいてないな…」と思ってくれるだろう。思ってください。

 

このはてなブログのコメント承認制には、最初とまどうことがあった。書き込んだ時はいったん画面上に自分のコメントが見えてから(おそらく実際には出て来てない?)その後、その画面上から消えてしまうので、あたかも削除されたように見えることだ。これは誤解を生むこともあるかもしれないな、と思う。自分が誰かにコメントを残し、それが反映されていなかった場合、システム上の問題もあるかもしれないし、単に相手が私のようなずぼらな人間で気づいてない可能性もあるし、本当に無視をしている可能性もある。こんなふうに、わからない時は、考えても仕方がないので私は「ま、いっか…」と流している。

 

SNSだけでなく、リアルでもあるよね。挨拶したら、相手から挨拶が返ってこなかった。これも、自分の声が小さくて、あるいは相手がイヤホンをしていて聞こえてなかった、という場合もあるし、無視されている場合もある。

 

たとえ、相手に無視されたとしても「私が何か相手を傷つけることを言ったのかな…」とあまり悩む必要はないと思う。傷ついたのなら「あなたがこうこうこう言ったことで私は傷ついた」と言えばよいのであり、だんまりで返すのは幼稚だと思うので、それは相手の問題。そして、私たちがどんなに言葉に気を付けて、善意からでも何を言っても、人によっては必ず傷つく人はいる。それを恐れてすべての交流をやめてしまったら、私たちの人生はあまりに味気ないものになるので、気にせず交流をしようではないか。

 

今日の結論。

私は傷つかないので、安心してどしどしコメントください。

時々コメントが来ていることを数日忘れるけど、無視したと思わないでください。そのうち返事がきます。

 

今日のピアノ



ではまた。

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【追記あり】三日月ロックその3

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実は、私の勤務する病院は、1つは街中だが1つはのどかなど田舎だ。

 

お昼ご飯後の休憩時間に、いつも広いベランダ内をウォーキングしていたんだけど、飽きてしまって、「病院の周りをウォーキングしてもいい?」と院長に尋ねたら、「いいよ」と許可が得られたので、食後に田舎道を散歩することが新習慣となった。

 

今日はちょっと暑かったけど、風が気持ちいいし、稲穂や彼岸花やコスモスを見ながら散歩すると癒される。なんだ早くそうするんだった!

 

【追記】

もうひとつの動画の方忘れとった。

こちらもよろしく。

 

 

ではまた。

 

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恋愛ってなんだっけ…

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昨日の仕事帰りから今日の正午にかけて、私は自分の小さな夏休みとして、有馬温泉に行った。

 

有馬温泉から帰って、友人のボルドー氏とちょっと話す。結局なんだかんだ言って縁はきれていない。

 

なんというか…

運命的といいたくなるくらい、趣味は合うんだよね。

温泉とか、納豆とか、電車とか、…

 

私は相手の職業や年収や学歴などには全く興味がない。

 

ボルドー氏の魅力は、

毎日ヘルシーな食事を作っている。

子供に弁当を作ってあげたり、一緒に散歩をしてコミュニケーションを取ったりといった、多くの日本人男性が苦手そうなことをちゃんとしている。

朝起きて太極拳をしたりと節制をしている。

外国語の勉強したり、向上心がある。

 

こういう、趣味が合う、特に食事の趣味が合う人だと一緒にいる事のストレスが少なそう。性格も穏やかで、たぶんいい。

 

極めつけは、すっぴんの状態の私をかわいいと思ってくれている。

 

これに対して、デメリットがあるとすると、私が彼に全く恋心を抱いていないということだ。

 

皆さんだったらどうする?

究極の2択。

・趣味も価値観も何もかも合わないのに恋してしまった人

・その逆

 

恋心というのがいつか終わりを迎えると思えば、1番目を選ぶのは愚かな気がする。でも私は相手に恋してない状態で付き合ったことなどないので、それってどうなんだろうな…

 

と思いながら、先に進むことなく、なんとなくたまに連絡を取るような感じでいる。これで、この先ボルドー氏が他の人と付き合うことになれば、後悔するのかもな…と思いながら。

 

 

しょうがないじゃない。私忙しいんだからさ…

 

今日のピアノ



ではまた。

有馬温泉 中の坊 瑞苑・公式サイト【最低価格保証】

 

 

肉q版・それが大事

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フランス人の友人ボルドー氏がバカンスに訪れた街


ではまた。

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月のしずく

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今日は、中秋の名月なので、張り切ってだんごとお抹茶を用意した。

しかし本当は今頃完成した坪庭で月を愛でながら団子と抹茶を楽しむはずだったのに、坪庭は庭師との都合が合わず、いまだに完成ならず、その上今日は月も見えないので、結局、単に夜に間食するだけになってしまった…まいっか。

今日のピアノ



ではまた。

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お金持ちになると失うもの。

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最近、DaiGo氏の配信を見たんだけど、お金持ちになったら付き合う人間が変わってしまうという話をしていて、「だって今僕が、牛丼屋で牛丼食べてから飲み物買って公園で喋ろうって言われても、まずしませんよね…」みたいなことを言っていた。

 

お金持ちって、かわいそうね。公園で飲み物飲みながら友達と話すことも楽しめないなんて…。以前パリにいた時は、学生だったということもあり、いつも友達とサンドイッチ買ってキャンパスの芝生で食べてたなぁ。公園はいつもバゲットとワインを持った家族連れや恋人同士で賑わっていたけど、日本にはあまりそういう文化がないよね。高級なレストランで食べるより、私はずっと楽しいけどな。

 

今日のピアノ




ではまた。

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「親ガチャ」に思うことを、つらつらと書く。

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(約2300文字)

最近よく聞かれる「親ガチャ」。親を選べないことを、ソーシャルゲームでゲームのキャラクターを得るときにガチャでランダムに当たり外れがあることになぞらえているらしい。

 

今だと、自分は一応親ガチャは当たりだったんだろうな、と思うけど、昔はそうは思っていなかった。なにしろ貧乏だったから、あまり物を買ってもらえなかったし、「安いから」とまとめ買いされたイワシをひたすら食べさせられていた。子供ってイワシ、どう考えても好きじゃないでしょ。当時、イワシのよく獲れる海から近いところに住んでいたからね。貧乏だわ、母はメシマズだわ、唯一気に入っていたところは、干渉しないことくらいか。

 

近所に、お金持ちの女の子が住んでて、グランドピアノが家にあった。いつもかわいい洋服を着てて、私が子供の頃にはまだまだ持っている人が少なかったテレビゲームをいち早く持っていたから、彼女の家に行って、よくゲームしたなぁ。うらやましかったよね。遊びに行くと、マドレーヌと紅茶が出てきて、花瓶にはバラなんか生けてあって、なにからなにまで自分のうちとは違っていたな。クリスマスなんかにも高価なおもちゃを買ってもらえてさ、でも家でそれを言うと決まって「人は人、ウチはウチ」と言われた。

 

それから大きくなって故郷をはなれたけど、姉が引き続き両親と住んでいた家を改築して住んでいたから、その土地を訪れたことがある。そのお金持ちだった女の子の家には、他の家族が住んでいた。どうやら、特にお金持ちでもなかったその家族は、浪費がたたってか、夜逃げをしたとのこと。噂なので本当かどうかはわからないけど、多額の借金があったとか。今、その当時女の子だった彼女はどうしているだろうか。

 

うちの親は「うちはビンボーだから…」と口癖のように言っていたが、どうやらそれほど貧乏ではなく、たんまりと貯めこんでいた。それは、子供の頃発達障害ゆえ、勉強が全くできず、経済的自立も結婚も到底できないであろうと思われた次女、つまり私のために貯められたお金であったが、くだんの娘はどういうわけか大人になってから不思議なことにいきなり勉強をしだして経済的自立を果たしたため、親はその金で実家の風呂を温泉にした。

 

こう聞くと、「親ガチャ成功」みたいに思えるけど、これは結果論であり、私は今の医者という地位にたどり着くまでに、好奇心からやたらとやんちゃな道を歩いてきた。若い頃の私の人生のすぐそばには、麻薬や覚せい剤に手を伸ばせる環境があり、ほんのちょっとの好奇心が過ぎて、あみだくじの右に選択するところを左に選択していたら、といつも思う。広島の繁華街でギャンブル店に勤務していた時も、ニューヨークでちょっとの間ホームレスになっていた時も、歌舞伎町で店長代理をしていたときも、危険はすぐ隣り合わせにあって、ちょっと間違えていたら私は、暴行を受けるか、麻薬中毒になるか、刑務所に入っているか、…そんな人生の可能性があったのだけど、たまたまうまくそのあたりはすり抜けて、そしてたまたま好奇心の延長で決めた医者という仕事のために、今は何不自由なく暮らしている。でも、もしバッドエンドだったとしたら、それでも「親ガチャ成功」と思うかな、…と思うと、結果論なのかな、とも思う。

 

でも、…昔はともかく、今の私はメンタルがとても強くて、なにがしかのバッドエンドのほうに行ったとしても、たとえば刑務所の中でたくましく生きてそうな気がするんだよね。だとしたら、このタフな私の土台を作ってくれたのは親だから、「親ガチャ成功」といえるのかな。

 

親の経済的レベルで「親ガチャ」の成功・失敗が決まるかというと、そう単純な問題でもない気がしている。

同僚の女医さんが最近すごく疲れてて、聞くと、息子の塾の入塾テストの準備で忙しいとか。その名門の塾は狭き門で、何度か落とされてるらしいけど、また挑戦するんだとか。その息子さん、小学2年生。医師夫婦の子供の進路は、その子が望む望まないにかかわらず一択だ。その子が苦労して、晴れて医学部に合格し国試にも通り、医者になった暁には、「あの時、早くから準備させてくれた親に感謝する」となるかもしれない。でも、あまり医者になりたいわけでもなく、結局何浪もした末、得たものは挫折と劣等感だけだった場合、「親ガチャ」成功とは思わないんじゃないかな。

 

あまり頑張りすぎることを小さい頃から強いられると、そりゃ医者になったり東大に入ったりするかもしれないけど、「ねばならぬ」と完璧主義に陥り、その後の人生のちょっとしたことで適応障害になるかもしれない。

 

うちの院長は特に塾などに行かず、「なんとなく家から近かったから…」と東大に入るより難しいと言われる超難関中高一貫校のN中に入った変人で、親になってから子育てもうるさくいわなかったら、娘は勝手に医学部に入ったけど、息子はYoutuberで生計を立てているとのこと。Youtuberは今は儲けててもつぶしがきかない、と眉を顰める人も多い職業だけど、院長は、「本人が楽しいんなら、いいんじゃない?」とのほほんとしている。それはもしかしたら、この息子なら、Youtuber失敗しても、何か他のことを思いつくだろう、と信頼しているのかもしれない。…何も考えてないのかもしれないけど。

 

私は職業柄、世間的に「勝ち組」と言われている人たちでも精神状態がぼろぼろになっている人を見ているから、子供が東大に入ったら、医者になったら成功とは思っていない。結果的にどんな人生になろうと、最低限食べていけて、自分で自分の機嫌を取れるようなら、ひとまず成功といえるんじゃないかな。

 

…特に結論はない。

 

今日のピアノ

 

ではまた。

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