Not alwaysな人か、Always notの人か。

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5分間ブログチャレンジ!

5分縛りでブログを書くよ。

新型ゴロニャが出てきたあたりから、人々の意見が分断されていることが見えるようになってきた。

Twitterとかでね。あんまりツイッター見ないけど。

あえて敵を作ることを言わせていただくと、私から見ると、マスク警察も、アンチワクチン論者もどちらも同じ。

世の中の多くのことは、トロッコ問題と同じで、どちらを選んでもそれなりに犠牲者が出てしまう。では、どちらを選んだら、より犠牲者が少なく済むだろうか。それを無視して、『絶対マスク!いつでもどこでも!』まるで北海道の広い大地1Km平米唯一人、という状態でもマスクしろという勢いの人がいる一方で、『マスクは悪!いつでもどこでもマスクするな!』という人達は、自分の近くに免疫抑制剤を飲んでいる人がおびえながら暮らしているという現実を見ずに、自分が正しいと思う方向にひたすら邁進している。

 

何事も程度問題だと思うんだよね。こういう場合は、マスクする、ワクチンする、消毒する、こういう場合は、しない、という柔軟さは必要だと思う。

 

問題は、この「どういう場合」ということであって、これは例えば、ウィルスの致死性が増した場合、逆に弱毒化した場合、とか、どの年齢層も一律に打つべきか否か、とか、刻々と変わりゆく状況や、対象年齢や、基礎疾患のある人ない人など、そういったことに応じてきめ細かに考えることで、少しでもトロッコの被害者数を少なくしようということをしたほうがいいんじゃないかなと思うんだけど、「ワクチン絶対!」の人も「ワクチンだめ絶対!」の人も、まるでどちらか片方のみに犠牲者が出るかのように考えている気がするんだなぁ。

 

私は一応、科学と医学の歴史と自分の目で見た現実に基づいた上で、ワクチンはどちらかといえばした方が良いと思っている人間なんだけど、どんな状況でも、どんな人にでもと思っているわけではない。しかも、私は自分の選択がいつも正しいと確信しているわけではない。今までの歴史的な経緯から考えるということをしても、全く状況が同じというわけではない。医学的知識と言う点で見ても、私は専門家からみたら、素人に毛が生えた程度の知識しか持ち合わせていない。だから、自分の考えに対する信頼度は60%くらいといったところ。

 

このゴロニャによって、私は今後付き合っていきたい人々に対して、1つの判断基準を設けた。それは、ワクチンを打つ人だろうと打たない人だろうと、「自分の今の選択が正しいとは限らない」と、自分を客観的に謙虚に考える余地を残してて、他人に自分の「正しさ」をごり押ししない人だ。

 

今日の動画



ではまた。

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