Boys, be imaginative!

私はたぶん職場では比較的穏やかで優しい方だと自分では思っている(もしかしたら客観視が出来ていないと言われるかもしれないが)。そんな私でもきっちりこってり叱ることがある。

 

A病院の当直中にPHSが鳴った。看護主任からで、ある看護師がBさんの薬を間違ってAさんに飲ませてしまったとのこと。これはあってはならないことだが、数ヶ月に1回くらいそのような報告がある。

看護主任は優しい人で、「その看護師は最近他の病棟から変わったばかりでまだ慣れてなかった」という。不幸中の幸いにも、間違えてしまった薬は、Aさんも普段から飲んでいる薬だった。しかし、Aさんはその時たまたま誤嚥性肺炎の治療中で意識レベルも不安定であることもあり、絶食点滴で、内服も一時的に中止となっていた。

 

ここで「やってしまったことはもうしかたないから、今度から気をつけてね」といった精神論だと何の解決にもならない。ミスは忘れた頃に必ず繰り返す。気合いや集中といった精神論に頼らず、起こりうる状況やパターンを抽出して、他の人も同じミスをしてしまわないよう情報共有する必要があるし、それがなんらかのシステム上の問題であるのなら、そこを改善する必要がある。

私は看護師Cさんに、このミスがどういう状況で起こったか尋ねた。なんと「すみません。名前を確認していませんでした」とのこと。私は普段はあまり怒らないようにしている。過度に怒ると、ミスを隠蔽するようになる恐れがあるからだ。でも、これは怒りたくなるよね。基本中の基本ぢゃん!

 

私は心の中で、「怒らない怒らない…きっとこの看護師は、身内に不幸でもあって、気もそぞろになっていたのだろう…」と自分を落ち着けた。

 

そして、Cさんに伝えた。まずは、精神論的に反省して終わりにせずに、必ず再発防止の対策を考えること。

それから、今回はたまたま間違った薬が、Aさんも普段から飲んでいる薬だったからよかったけど、Aさんにとっての禁忌薬を飲ませていたら、大変なことになっていた可能性があるということ。

 

それから、「精神科の患者さんに薬を飲ませること」の責任の重大さは、他の科の比ではないことを話した。身体科の患者さんと違って、精神科の患者さんは意思の疎通ができない人が多い。いつも飲んでいる薬と違うものが来ても、それを理解できなかったり、いつものと違うとわかっても、それを適切に言語化できなかったりする。だからこそなおさら、自分が与薬することへの責任は大きい。

 

そして、伝えた。

想像してみてほしい。もしあなたが病気か怪我をして運び込まれた病棟では、隣のベッドで他の患者さんが抗がん剤治療をしていた。あるとき看護師が、隣の人にするはずの抗がん剤の点滴を間違えてあなたに繋げようとしている。「それはちがいます!」と叫びたくても、病気か怪我のせいで声が出ない、体が動かない。怖いでしょ。

 

Cさんは、ことの重さを自覚したような表情になった。

「すみません…」

「すみませんは私に言う言葉じゃないよね」

 

かくしてCさんを伴い、Cさんは、Aさんに薬を間違えたことの謝罪をし、私からも、謝罪と、間違えた薬の内容の説明をした。

 

Cさんはどう思ったかわからないけど、あるブロ友さんが「歳を重ねることで、叱られなくなってしまった」とブログに綴っていたことを思い出した。本当にね。若い頃は、叱られるのって辛いと感じるかもしれないけど、歳とると、誰も叱ってくれないから、本当にこれでいいのかな?と時々思ったりする。

 

若い看護師さん、精神科病棟で働くというのは、他の職場以上に想像力を働かせる必要があると言うことだよ。ファイト!

 

今日のピアノ



ではまた。