夢をあきらめないで

f:id:nkobi1121:20210908210018j:image

(約1000文字)

子供の頃になりたかった将来の夢は、「魔法使い」。魔法使いになれば、なんだって思いのままに手に入れることができるだろうから。七夕の短冊にも書いてお祈りした。

 

もう少し成長してからは、なりたいものは魔法使いから「天才」に変わった。別にちやほやされたかったわけではない。私は怠け者だったので、努力をせず何かを得たかった。それに、子供の頃は、いわゆるガリ勉よりも、生まれつき何もかもスマートにさらっとこなしている方がかっこいいような気がしてたし。

ほかに「天才」になりたかった理由は、「天才」と言われる人たちが、どんなことを考えているのか知りたかったから。

 

でも、ド田舎の公立の学校に通う子供の考える「天才」はたかが知れていて、アインシュタインなどではなく、せいぜい東大生くらいの人を天才と言うのだと思っていた。何しろ、ど田舎に住んでいた自分にとって、東大生は、ツチノコなみにその辺にない存在だったから。

 

年月は流れ、なんとなくひょんな事から医学部に入ると、それまでツチノコだった人たちが急に周りに現れ、友人や先輩や後輩になった。(私は東大では無いが、元東大が周りに多かった)

 

彼らと知り合いになってから思った。東大生は思ったより普通だった。むしろ彼らの方が、私を「普通じゃない」と言った。そして「天才」への憧れはなくなった。

 

昔は、お金であれ地位であれ才能であれ、何かを「持っている」ことが幸せだと思っていた。でも今はそうは思っていない。私が実際に持ったものは、ちょっとした小金くらいのものだけど。

 

どうやら私は、何かを「持っている」状態よりも、何かを「追い求めている」時のほうにもっと幸せを感じるタイプだったらしい。恋愛だったら片思いが1番ワクワクするという、トコトン結婚に向いていないタイプ。

 

結局、変化があることが好きで、成長することも好きで、だから誰かに高級レストランでご馳走になることよりも、昨日解けなかった難問が今日解けたとか、YouTubeやブログを続けることができたみたいな、そういうささやかな変化のほうにむしろ幸福を覚えるタイプみたいだ。

 

再来月には自分も人生100年時代の折り返し地点を迎える。私は意外と長生きするかもしれないので、自分の人生後半の夢をどうしようかなとワクワクしながら考えている。

 

今日のピアノ



 

ではまた。

f:id:nkobi1121:20210908210047j:image