優生思想に陥りがちな私たちの落とし穴

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(約1700文字)

メンタリストDaiGo氏が、ホームレスや生活保護受給者の命を軽視する発言をして炎上した。このことで、つくづく本読んでばかりいちゃダメなんだなと思った。

All work and no play makes Jack a dull boy...これは学校の授業じゃなくシャイニングという映画で覚えたけど、真理だね。日本語で「良く学びよく遊べ」だっけ。

 

彼を批判するというよりも、これは自分自身自戒していきたいことでもある。といっても特に自分にホームレスや生活保護受給者差別の心があったと気づいたわけではなくて。

 

私にはいつもやりたいことがたくさんあり、そのためにスケジュール帳を用いて自分の一日を最適化することにこだわっている。自分の仕事とそれに関する勉強、語学、それからピアノ…健康管理の為の筋トレや有酸素運動…とりあえずこれだけに絞ったけど、これらをこなすために、生産性と効率性の鬼と化している。

そうすると、どうしたって、小説より実用書、本当に見たい映画よりも今勉強しているフランス語字幕がみられる動画を選ぶ。生活から極力無駄をそぎ落としている。

 

でも、これが高じるとどうなるか…。付き合う友達一人一人を吟味して「この人から自分は何か得るものがあるか?」みたいにふるいにかけるような傲慢な人間になってしまわないだろうか。「生産性の低い人間からは学ぶことがない」などというのはあまりに頭が固くなっていることであり、本当は子供からでも動物からでも学ぶことがあるんだけど、自分が「学ぶことはない」と思い込んでしまったが最後、せっかくの学び、気づきの機会を失うというもったいないことになってしまう。

 

私はただでさえ、医者になってからは忙しいということもあり、医療者としか付き合わないような生活になっている。なので、ブログという場で、ふだんなら出会うこともない、いろいろな境遇の老若男女、ごっつい稼いでいる経営者もいれば闘病生活中の人もいる、いろんな人と交流できること、また外国語のブログを通していろいろな国の人と交流することで、自分を相対化出来て、視野狭窄に陥ったり傲慢に陥ったりすることからなんとか免れている気がする。ありがたいことだ。

 

優生思想というのは、DaiGo氏だけでなく、私自身を含む多くの人の中に存在していると思う。そしてゴロニャ禍のようなストレス下で顕在化してくる。災害や不況下で余裕がなくなると、高齢者や障碍者、子供を産まない人(独身者や性的マイノリティ)の生きる価値を軽視する発言がそこかしこから聞かれるようになる。

 

精神科の患者さん達もそうだ。社会的スティグマを受け、「精神科通院歴のある」人間が事件を起こすたび、世間的に肩身の狭い思いをする。

 

自分は関係ないと思っている「普通以上の」人が、声高に生産性から外れる人たちを無価値とみなしたりするけど、そういう考えは、そう思っている本人を含め、誰も幸福にしない。

 

以前、将来を嘱望された超エリートの男性が統合失調症になり、退院できる程度によくなったのだけど、その後自殺をした話をしたことがある。エリートの人間ほど、事故や病気で働けなくなった時に脆い。それはもしかしたら彼らが「生活保護に堕ちてしまったら生きる価値などない」と思い込んでいるからかもしれない。

 

日本人に自殺が多いことの原因の一つに、日本人が自他に厳しすぎることがあると思う。「自己責任」「自助努力」「人に迷惑をかけるな」などという言葉がよく聞かれることからも、その性質が端的に窺える。

 

そろそろ日本人ももっと自他に甘くなってもいいんじゃないかな。

そしてDaiGo氏はすこし論文を読む量を減らして、その分映画でもみたりすることを勧めたい。フェリーニの「道」なんていいんじゃないかな。道端の石ころのような人間しかでてこない映画からも学べることはあると思う。

 

私も小説でも読むかな。

そのためにも…休みをください!!! 

 

今日のピアノ

「海の幽霊」米津玄師

この曲の歌詞をみると、ものすごくお盆に似合うから、今日はこの曲にしました。

https://youtu.be/gHkR9LZagL8

ではまた。

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