仕事がつらいんで、生活保護で暮らしてもいいですか?

 

 

(約3800文字)

あるセミリタイアを目指すブロガーさんが、「仕事をしたくない、仕事をするのが苦痛だと思う人間はじゃんじゃん権利を主張して、生活保護なりなんなり利用できるものは利用してよいんですよ。」と、健常者が精神障害を騙って精神障害者保健福祉手帳を不正取得することを奨励するような文章を書いておられた。これは精神科医として看過できない問題なので、いっちょ噛みさせて頂く。

 

なぜセミリタイア者が自分より下の弱者を叩くのか | 【怠惰】20代の窓際無能ダメリーマン「ボンズ」がセミリタイアを目指すブログ

 

そもそもの始まりは、あるセミリタイアーさん(仮にAさんとする)が、コロナ禍で家を失う若者層について批判的なブログを書かれたのが発端かなと思われる。

「五体満足なのだから、とりあえず食べるためにはえり好みをせず仕事をしようよ。まずは自助。公助はその後だ。」といったような主張で、これに対しくだんのブロガーさん(仮にBさんとする)が、「なぜセミリタイア者が自分より下のものを叩くのか」と反論。そこから上記の「健常者でも仕事がつらいなら生活保護を利用しよう」に続く。

セミリタイア者が自分より下の弱者を叩いている、と勘違いされているので反論してみる - 48歳からのセミリタイア日記

 

お二人の立場は、複数回のブログのやりとりを乱暴にまとめると、

Aさん:仕事をすることがつらい人だって権利を主張していいじゃないか。別に、人は人、自分は自分で、自分より弱い人を批判しなくても…

Bさん:法治国家である日本に住むなら、法に従うべき。ルールは守るべき。

 

こんな感じで平行線だった。乱暴なまとめ方ですみません。

 

このお二人のやりとりを見てて思ったことを書かせて頂く。

これに対する批判は大いに結構だけど、当方忙しいのでたぶんあんまりコメ返しないかも。

 

 

まずね、Aさんの「コロナ禍で家を失う若者層」への批判、これは確かにちょっと厳しいのかもしれない。誰もこんな経済を揺るがす感染症が流行るなどと思っていないので、そんなにちゃんと備えていない人がいても不思議ではない。日本は災害国家だから、備えておいて損はないんだけどね。もしかしたら病気、身内の介護、離婚、詐欺にだまされた、など何らかの原因でお金がなかった時にたまたまコロナ禍となった可能性もある。三か月くらいはちゃんと食いつなげるだけの貯金があって、それが亡くなる前に、なんでもいいからとりあえず働く、という至極当たり前のことができないという見通しの甘さは、知的や精神的にグレーゾーン以上だった可能性もある。

 

ただ、それでも「まずは自助」という考え方が「自己責任をふりかざす」ということとは私は思わない。

 

「魚を毎回与える」か「魚の取り方を教える」か。

本当に前者のほうが親切なのかな。後者は冷たいのかな。

 

うちは貧乏で、子供の頃から「働かざる者食うべからず」と言われて育ち、実際、割り当てられていた家事労働をさぼると食事が出ないというシビアな家庭だった。20歳で単身アメリカに渡ってから出会ったお金持ちの韓国人子女が、親のカードをまるで打ち出の小づちのように使っているのをあの頃は心底うらやましく思った。でも今は、家のカードを好き放題使える家でなくてよかったと思っている。これは価値観の問題で、これが正解というわけじゃないけど、自立に伴う自由とそこそこの自己肯定感が得られているので、わりと自分の人生に満足している。これが、まだまだ元気なうちにラクを覚えてしまうと、依存心が芽生えてそこから這い上がろうとしても難しい。

 

精神科病院でも、なるべく自力で食べられる人には介助をせずに見守る。本当は介助をしたほうが、早く食事を終わらせることが出来て、職員的には楽だったりするのだけど、介助のみで受け身でぼーっとしている人達を増やさず、なるべく自分で食べ、自分の足で歩き、自分で着替えるということをしてもらう。それは職員にとっても本人にとっても楽ではないけど、その人が自尊心を保ち、生き生きと生きるためには大切なことだと思っている。

 

あと、なぜまず「自助」なのかというと、当たり前だけど、財源には限りがあるよね。「誰でもじゃんじゃん利用していいんだよ」と、受給資格を持たない人達がじゃんじゃん生活保護を不正受給したり、精神障碍者保健福祉手帳を不正取得したりすることで何が起こるか。

生活保護の申請の窓口も精神科の診断基準ももっと厳しくなるかもしれない。手続きもより煩雑になるかもしれない。それにより、いままで救われていた本当の弱者が支援につながりにくくなるかもしれない。

他の、つらいながらも頑張って働き納税している人達の心証を悪くすれば、生活保護の人の肩身が今以上にせまくなる。ただでさえ受給に対する心理的ハードルが高いと思っている人が多いのだから、これ以上生活保護のイメージを悪くすることで本当の弱者を追い詰めるような行動は慎んでほしいと思う。本当に保護が必要な人が、保護につながらず自死や餓死に至るという事態はなんとしても避けたい。

 

ちなみに、健常者が精神障害者のふりをして手帳を取得することに対して、他の精神科医と話した。ある女医さんいわく、「そういうの、すぐわかるよね~。もともと自分のところに通ってて、手帳が必要になったんならわかるけど、いきなり来て手帳が取得できるレベルのメンタルの不調を訴え、入院はしない、でも書類を申請してほしい、なんて言われたら、うつ病とはまず書かず、うつ状態って書くよね。これだと絶対申請通らない。笑」

ちゃんとした精神科医だったら、1回2回の診察程度でそんなにぽんぽんとお望みの書類は書いてくれないよ。悪名高いヤブ精神科のクリニックだったらお望み通りに書いてくれるかも。ただし、そういうクリニックと縁が出来てしまうと、本当にメンタルの不調があった時に、そこの通院歴から、そこのヤブクリニックとつながりのある、いまだにどこかに存在する悪徳の金儲けヤブ精神科病院に入れられてむりやり薬漬けにされて出られなくなるかも。おお怖!

 

 

でね、ここからが実は本題。今回本当に書きたかったこと。前置き長すぎごめん。

 

仕事辛くても、生活保護の条件に満たない人、精神障碍者じゃない人は、甘えちゃいけないの?頼っちゃいけないの?

 

甘えてもいいんです。頼ってもいいんです。声をあげましょう。でも、そのやり方が問題なんだよね。ルールを逸脱しない範囲内で甘えよう、ということなんだよ。

 

なんでもルールルール、というのは日本人にありがちな思考停止だとおっしゃってたけど、確かに陳腐なルールも社会には存在するよ。校則だから黒く染めろと、もともと茶髪の子の髪を黒く染めさせるとか、こういうのは思考停止と言えると思う。でも、多くのルールは、それを逸脱することで、誰かが不利益を被る可能性があるという視点からできているものじゃないかな。だから、誰かが「ルールを守れ」と言った時に、「この人も群れる日本人の典型だな。思考停止だな」と思う前に、そのルールを破った時に何が起こりうるか考えないと、自分こそ思考停止ということになってしまうよね。

 

というわけで、一足飛びにルール逸脱に飛躍するのでなく、ルールの範囲内で、助けを求めることを考えてみよう。

今抱えている問題が、貧窮でなく「仕事がしんどい」のであれば、会社の産業医と話してもいいし、友人に話を聞いてもらってもいいし、精神科医や心理士に話してもいい。もちろん手帳取得はできないだろうけど、ありのままうちあけるだけでも、気持ちが楽になったり、突破口が見つかることもあるかも。

 

精神科は、ホントに病気の状態になってからでなくても、会社に適応できていないという生きづらさを相談に来てもいい。必要がなければ、薬を出さずに、適応的な対処法を一緒に考えたりもできるし。

 

精神疾患がある人の方が、必ずしも健常者よりもつらいということではないよね。むしろ、精神疾患と診断してもらえたら、「ああ、それならしかたないよね…」と言ってもらえるのに、精神疾患の診断基準に満たなかったがために、「健常者なのに甘えんな!」と言われるのは、確かにつらい。

 

健常者と言われている人達の中にも、たとえば発達障害グレーゾーンの人はたくさんいて、もともとは知的レベルが高く、学歴も高かったり、いい職場に入れたりするけど、自分の特性と職種があってないと、がんばっているわりに上手くいかず、無能の烙印を押され、自尊心がずたずたにされてしまうと、もうがんばることすらできなくなって、職場に行くのが精いっぱいという状態になる。じゃあ、転職すればと言われても、他の職場でうまくいくという保証も自信もない。どうしていいかわからないまま、日々を送っているという人達はたくさんいると思う。

 

こうなってしまうと、自分で事態を改善させる気力もないよね。ミスしても、報告を先送りするなど、回避的なコーピングを選んでしまって、悪循環。こういう時は、精神科医や心理士に、認知行動療法をしてもらうことをお勧めします。検査して自分の特性を把握したり、今の自分でもできる小さな達成目標や適応的なコーピングを一緒に考えたりして、ちょっとずつ自尊心を回復していくことが出来ると思う。

 

このように、その人その人に合った支援にたどり着けばいいなぁと思う。

 

ではまた。

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